つい最近、父の病気が発覚し、気持ちが塞いでブログ更新をお休みしていました。
いずれ、こういう日が来るということはわかっていましたが、いざ現実となると、やっぱり動揺してしまいますね。
今日は、父の病気の発覚によって私が感じたありのままを書き留めようと思います。
父の病気
父は現在67歳。
発覚した病気は、大腸がんです。
発覚したときには、かなり進行している状態でした。
これから更に詳しい検査をすることになっています。
ここまで進行するまで気づけないものなのかというと、そうでもありません。
10年ほど前から毎年、健康診断の結果に「再検査」と記載されていました。
でも、「悪い病気が見つかったら嫌だから」という理由で、一度も再検査を受けませんでした。
じゃあ、何のために健康診断を受けていたの?という話ですが…。
会社勤めしているから、義務として、仕方なく検査を受けていた感じでしょうか。
便に少量の血液が混じり始めたのは数年前。
去年からは血液の量が増えてきて、もう、絶対に大腸がんだよなぁと覚悟はしていました。
それでも、父は病院へは行きませんでした。
母も、病院へ行くことを勧めませんでした。
なぜなら、母は、病院が嫌いだから。
骨折しても病院へは行かず、自然に治るのを待つという、究極の病院嫌いです。
昨年11月に右肘を骨折しましたが(病院へ行っていないので正確なことはわかりませんが)、放置したので、そのまま動かなくなってしまいました。
父は病院嫌いというわけではないので、風邪をひけば内科受診していたし、整形外科や、歯医者にも通っていましたが。
父の症状は、8月に入って下痢がひどくなり、食欲も減退、倦怠感も強くなり、いよいよ体がしんどい、となって初めて、病院受診となりました。
遅すぎですよね。
医者からも、「遅かった」と言われたようです。
父の生活習慣
父は、運動は全くしません。
通勤は車、会社ではデスクワーク。
休日は、母と買い物に出かけた時に歩くくらいです。
食習慣はと言うと、母が料理が苦手なので、週3回は外食、そのほかの日はお総菜(揚げ物)か、ベーコンやソーセージなどの加工肉です。
野菜や海藻など、食物繊維が摂れる食品はほとんど食べません。
たばこも吸います。
「The 不健康」ですよね。
私が独身の頃に実家で買っていたワンちゃん(ポメラニアン)は、母が頻繁にフライドチキンやら唐揚げやらを買ってきては食べさせていたので、ドッグフードを全く食べなくなってしまいました。
10歳の時に腎不全で死んでしまいましたが、塩分や油分の過剰摂取が良くなかったんだろうなぁと思います。
「食」は体に直接取り込むものなので、体にいいもの…せめて体に悪くないものを選ぶことが大切ですね…(´`)=3
父は幸せだったのか?
父の病気のことは母から電話で聞きました。
想定したことだったので、「やっぱりね」と思うくらいで、気が動転するとか、取り乱すような気持ちにはなりませんでしたが、全身の力が抜けるような感覚がありました。
これから更に精密検査をしてみないことにはわかりませんが、放置期間が長かったこともあり、やはり、最悪の事態も考えてしまいます。
「最悪の事態」という表現は好きではありませんが…「この世での生を終えること」という言い方のほうがしっくりくるかな。
それを考えた時、父は、果たして幸せだったのだろうか?父は人生を十分に楽しむことができたのだろうか?という疑問を持ちました。
高校卒業と同時に、実家のある三重県から静岡へ出てきて就職。
働きながらお金を貯めて1年経った時に定時制の大学へ進学。
昼間働いて、その後大学で勉強していました。
母が私を妊娠したため、大学3年生の時に結婚。
母が一人っ子だったので、父は婿養子に入りました。
仕事と勉強に加えて、父にとっては他人である祖父母と暮らしながら子育ても…という生活が始まり、若かった父にとっては、気苦労が多かっただろうなぁと思います。
母は支配欲が強く、身内にも他人にも容赦ない人なので(近所や親戚間では有名)、父は我慢することが多かったと思います。
よく胃炎になっていましたが、ストレスだろうな、と思っていました。
いつか、父の方が後に残されたなら、私が父の面倒を見ようと思っていましたが、それももう、かなわないかもしれない…。
それを思うと、胸が苦しくなりました。
具体的な結果が出ていないので、諦めるのはまだ早いのですが…。
人はいつか、必ず死ぬ
父の「この世での生を終えること」について考えた時に、もう一つの考えが同時に湧き上がってきました。
それは、私自身も、いつか終わりを迎えるという紛れもない事実。
そんな当たり前のことはわかっていたつもりでしたが、これまではぼんやりと、遠い未来の空想の世界の話のように感じていました。
今回のことで、「いつか生が終わること」を初めて実感しました。
そのとき、一番悲しかったのが、
「いつかわが子たちとお別れする日が来る」
ということ。
今の一文、書いただけでも涙が出てきちゃいました(*´□`*。)
順当にいけば、親は子供より先にこの世を去るわけで(逆だったら困ります、ダメです)、いつか子供たちにサヨナラしなければなりません。
それが、無性に寂しくて、夜中、みんなが寝静まったころに、1人でリビングで泣いていました。
というか、泣くつもりはまったくなかったのに、涙がポロポロ流れてきました。
このままず~っと一緒にいられたらいいのにな…。
でもきっと、限りがあるからこそ、一緒にいられる時間が大切で、たまらなく愛おしく感じるんでしょうね。
ますます、子供たちがかわいくてたまらなくなりました。
神様へ。
こんなにかわいい子供たちを、私に授けてくださってありがとうございます。
子供たちへ。
ママのところに生まれてきてくれてありがとう。
父の病気がきっかけで、あらためてそんなふうに感じました。
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